「写真の愉しみ」とは「写真を人に見せる」こと…撮影したその場で写真をプリントして見せることで、言葉の壁を越えて撮影意図を伝えられたり、見た人の表情の変化で写真の良し悪しも把握できる。仕事でもプライベートでも、プリントを見せることで次の撮影に臨むパワーをもらっていると望月氏は語る。
写真がデジタルに変わっても、人に感動を与える「いい写真」の表現は変わらない。撮影から出力までの劇的な時間短縮こそが、デジタル機材を使う最大の理由だという。
初めて一眼レフを手にして写真の魅力に取り憑かれて三十年が経っている。キヤノンのAE-1が一世を風靡した頃、僕は写真を始めた。仕事としても二十年以上もの間、毎日のように写真を撮り続け、日夜新しい技術や表現手法を模索してきたつもりだ。四半世紀もの間、写真と対峙してきたことになる。
しかし、未だ「写真を極めた」という実感がない。まだまだ新しい技術や異なる表現にトライし続けたいと思っている。今やデジタルカメラの進化により、誰しもが簡単に失敗なく写真が撮れるようになった。パソコンの画像処理ソフトを使えば、どんな補正処理も簡単に行える。ケミカルに頼らずキレイなプリントが即座に得られる。こんなにも便利になったのに「感動を与えるいい写真」を表現するのは、なかなか難しい。その難しさは数十年前と変わっていないとも思う。なぜだろうか?
思えば、写真を始めた頃はモノクロフィルムでしか撮影していなかった。100フィートの「トライX」をパトローネに詰め込んで撮影した。自分で現像液を調合し現像、印画紙を選んで引き伸しプリントをした。写真を仕事にするようになってからは、100%ポジフィルムだった。そのポジフィルムも、当時は年々進化し続けていた時代である。そして十年ちょっと前に「フォトショップ」が登場して以来、写真をデジタル処理するようになった。デジタルカメラが現在のように普及する以前であり、この頃はフィルムで撮影しスキャナーでデジタル化していた。そして最近ではデジタル機器が手頃な価格になり、性能的にも十分なものとなった。そのため撮影の99%はデジタルカメラを使うようになっている。このように機材としてはドラスティックな変化があった。これを見ると、技術の変化に振り回されているようにも感じるだろう。
しかし、ここで声を大にして言いたいのだが、「写真」そのものは結果として変わっていない。カメラを使って被写体に向き合い一瞬を切りとる。そして、最終的には1枚のプリント(印刷物)となる。その過程が多少異なるだけで、やっている事は三十年間同じである。
フィルムがCMOSになっても、引き伸し機がインクジェットプリンタになっても目的は一つ。人になんらかの感動を与える「いい写真」を表現する事だけである。つまり「写真の難しさ」は技術や機材の変化に対応することではない。
実は一時期、コンピュータでの画像処理(複雑な画像合成など)に、こだわった期間があった。仕事として、そのような技術がもてはやされていたからでもある。多くの広告制作関係者が「撮影画像はあくまで素材であり、画像処理により高度なイメージに変貌する」と思い込んでいた。確かにこれは間違いではない。例えば、曇っている風景写真に青空を合成すれば、現場で天気待ちをするよりも確実で安価に、求められるイメージを作成できる。しかし、これではそのイメージを見てくれる人たちの「感動」を得るのは難しい。
合成映像やCGが悪いとは言わない。最近のCFや映画などでコンピュータ処理をしてない映像の方が珍しいだろう。ただし「写真」というものは、画像合成していないストレートなものがインパクトを与えやすい。ドキュメンタリーやノンフィクションが求められているよう、写真は真実を写すという感覚が、多くの人に根付いているからだろうか。「よくこんな一瞬が撮れたな」と思ってもらうのが重要である。「フォトショップ使えばこんなの簡単だよ」と思われればそれまでだ。
そのため、僕は仕事としては画像合成も引き受けるが、作品性を持った表現では合成処理は絶対にしたくないと考えるようになった。撮影時に最大限の努力をして、パソコンでの処理は最低限度にとどめるようにしている。撮影時間が5分で、画像処理に数時間かけるなど本末転倒だ。
常々、撮影者の「撮影時のこだわり」が結果として写真に現れると思っている。写真とは言うまでもなく被写体を写しているものであるが、実は「撮影者の心」を写しているからだ。写真の奥の深さはここにある。単に道具の種類ではなく、技術でもない。どのような心を持って撮影に望んだか、その撮影者の人間性や知識、性格までも写真は表現していると僕は思う。
「写真の愉しみ」とは「写真を人に見せる」ことである。
写真とは自己表現のひとつの手法である。
言葉によるコミュニケーションよりも、一枚の写真の方がより雄弁に自己を語ることがある。
僕は海外での撮影が多い。その際に言葉の壁は歴然と存在する。しかし、作品プリントを見せたり、撮影時に撮影したショットを即座にプリントして見せる事で円滑なコミュニケーションが可能となっている。特に人物撮影(モデル撮影)では、多くの外国人との共同作業となる。たとえ電源のとれないようなロケであっても、僕はバッテリー内蔵のモバイルプリンタを使いプリントを欠かさない。
撮影画像はもちろんPCで見る事はできるが、その場でプリントを手渡すと相手は一様に驚いてくれる。例えば10人のスタッフに10枚の写真を見せるには、PCのモニターよりプリントの方が確実である。これにより僕の撮影意図を簡単に初めて組むスタッフに理解してもらう事が可能となる。
かつてはこれをインスタントフィルム(ポラロイド)で行っていたのだが、デジタル機器の進化により「試し撮り」ではなく「本番ショット」のプリントができるのがありがたい。撮影時だけではない。撮影後にも協力してくれた人たちにプリントを送るようにしている。WEBサイトに画像をアップロードするより、ハードコピー(プリント)の方が喜んでくれるものである。これは少なからず手間のかかる行為であるが、次回からのスタッフのモチベーション(やる気)が違ってくる。やはり良い写真を撮るためには周りの人たちの協力も欠かせない。
プリントを手渡すことにもう一つ重要な目的がある。その写真に対してのその人の印象がダイレクトにチェックできるからだ。見る人がプロである必要はない。写真に関しての知識はなくてかまわない。プリントを見た瞬間の表情を僕は重視する。僕の写真を見て何のリアクションもない場合、それは僕の責任だ。僕が狙ったことが的外れだったケースもある。写真表現は撮影者の自己満足であってはならない。なんらかの反応を引き出す写真を僕は作らなくてはいけないと反省する。
とにかく、プリントを見せることで僕はパワーをもらっている。仕事の写真だけではない。プライベートでもコンパクトカメラでスナップしてプリントする。プリントを見せるのは実に楽しい。見てくれる人の反応は、僕にとって大きな励みとなる。次の撮影に臨む活力そのものだ。
大判インクジェットプリンタも必需品である。A4プリンタでも十分楽しめるのだが、それがA3やA2、さらにはA1やB1といった巨大なプリントでさえも撮影日に手にできる。やはり大きなプリントは強いインパクトを与える。撮影者にとっても撮影時の感動が薄れる前に、巨大なプリントを手にできるのは感動でもある。写真のデジタル化によって、撮影からプリント出力までの時間が劇的に短縮された。これこそが、僕がデジタル機材を使いたい最大の理由である。
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望月 宏信 1991年株式会社イリュージョンを設立。広告写真家・フォトディレクターとして、大手企業各社の広告活動に参画。 多数の雑誌で作品を発表し、日本写真学会や各メーカーのセミナーや講演なども行う。 現在は、アジアやオセアニアでの撮影を円滑に行うため、海外に撮影会社を設立し拠点としている。 社)日本広告写真家協会会員、日本写真学会会員、日本芸術写真学会会員、デジタルカメラ学習塾会友 |